撮影を終えて
去る6月1日の出来事は、まるで幻のようだった。
13年前までは、廃墟と化していたあの阿部家
あまりの痛みように誰もが壊すしかないと思われていた家である。
その阿部家が、スタジオさながらに使われ、この家から全国放送が流れるなんて誰が想像しただろう。
13年かけて改修してきた最後のお蔵の改修が完了したのは4月のことだった。
そしてその直後に「里山資本主義」の番組放送の話が舞い込んだ。
まるで完成を待っていたかのようなタイミングだった。
「里山資本主義」の著者である藻谷氏とは10年来のお付き合いもあり、
今回のことは藻谷氏のお力添えがあって実現したとは
重々、承知してはいるが、私は内心、阿部家が引き寄せてくれたのではないかと感じている。
歴史のある古い家にはそういう力が潜んでいるような気がしてならない。
阿部家事業は、採算性よりも家が喜ぶ使い方を優先してきた。
きっと阿部家がよろこんでいるに違いない。
生放送は初めてとは言え、テレビ取材の経験はあったのである程度の予想はしていたが、
想像をはるかに超える物々しさとこれから起こることの重要さに、やや身構えた。
35人ものスタッフが入り込むやいなや、阿部家が見る間にスタジオになっていく。
カメラ、照明、音声、それぞれ担当のスタッフが見事に手際良く仕事を進めていく。
メイク係の女性に声をかけられ、はじめて”メイクしてもらえるんだ”と大喜び。
なにしろ最近のテレビは画像がくっきりはっきり。
素のままの私は、あまりにも無防備すぎる。
机に並んだプロの化粧道具に期待が膨らむ。出来映えはそれなりに…。
いよいよ本番直前。マイクをつける。
私の出番は、前半の最後なのでコメントのあとすぐにニュースに入るとのこと。
目の前の大きな時計に目をやりながらやや緊張の面持ちで…
放送中は蛾が舞ったり庭のカエルのうるさいこと、いかにも里山らしい。
「地域交流で生まれた商品の紹介を」との意向もあり尾道帆布とコラボしてつくったバッグの説明をする。
打ち上げ会場の茅葺きの家、鄙舎への畦道は、ローソクの灯で足元を照らす。
手作りのピザ窯では、若手スタッフが自慢の腕をふるっている。
番組スタッフの方々が番組への想いなどを語って下さった。
皆さんお疲れさまでした、そしてありがとうございました。
例によって最後は、藻谷さんの手相拝見で締め括られ長かった一日が終わった。
「里山資本主義が日本を変える!?」をじっくり繰り返し観ながら、
これからの阿部家事業のあり方、方向性を見据えていきたいと思う。
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