石見銀山他郷阿部家物語り その1
石見銀山他郷阿部家物語り
石見の国の山奥のとある村に、一軒のおんぼろ屋敷がありました。その家はその昔、銀山が栄た頃に建てられた阿部家という武家屋敷でした。誰も住まなくなって三十年が過ぎた家はすっかり朽ち果てており、あまりの荒れように、村人は「壊すしかないだろう」と噂しておりました。
近所に住むおじいさんとおばあさんが、なんとか直してやれないものかと気に掛けておりましたが、お金の工面ができず、誰か買って直してくれる人がないものかと、あちこちに声を掛けて回っておりました。幾人かが興味を示してくれたのですが、何の仕業か、話はことごとくまとまりません。
ある時、都で事業に成功した人が、ぜひ購入したいと改修の図面まで描いて大変乗り気でしたが、不思議とその話も途中で消えてしまいました。
やむなく、貧乏なおじいさんとおばあさんは、なけなしの財産をはたき、更には分不相応な借金までして、この家を買って改修する決心をしました。
「そんな家にお金をかけるなら、いっそ新しく建てた方が良いのに」と誰もが反対しました。でも、おじいさんとおばあさんの決意は固く、迷うことはありませんでした。
おばあさんは、ボロボロの家を片づけたり掃除をしたりする時もうれしくて心が踊るようでした。
この家を直すのにいくらかかるだろうなどとは全く気にもかけませんでした。ああしたいこうしたいと楽しいことばかりが頭を巡りわくわくしておりました。
いよいよ工事が始まると、おばあさんは一日に何度も仕事の合間をみては、工事現場をのぞきに行きました。職人さん達が「また来とるぞ」と呆れるほどでしたが、おばあさんは、家が少しずつ直っていくのを見るのが楽しくて楽しくてしょうがなかったのです。
やっとのことで主屋が直ると、おばあさんは通りがかりの人に声をかけてごはんを食べさせてあげたり、時には泊めてあげたりもしました。
やがてお風呂も出来上がり、この家は「他郷阿部家」という宿になりました。「他郷」はもう一つのふる里という意味です。
ちょうど時を同じくして、この町は世界遺産になりました。宿の前の通りは人だかりでしたが、宿に来るお客さんはほとんどなく、開店休業のような日が何日も何日も続きました。それでもおばあさんは、いつか来て下さるお客様のためにと、毎日々々庭に花を植えたり、掃除をして待ちました。
あげくの果てに、おばあさんはこの家を理想の暮らしの場に作り上げるために、おじいさんと町内別居をしてまで、この家に力をそそぎました。けれども、おじいさんは喜んで協力してくれました。
あれから十一年。誰もが見向きもしなかった家が、地元の職人さん達の手によって見事に甦りました。
今では老若男女、日本津々浦々から、さらには世界中からお客様が訪れる宿になりました。丁寧に拭き掃除をしたり、かまどで炊いたごはんをおむすびにしたり…。ここには昔ながらの暮らしがあります。おばあさんは毎晩大きなテーブルを囲んでお客様と家族のように食事をすることが何よりの楽しみです。時々、おじいさんもやって来ます。今では、おじいさんとおばあさんにとって、子供や孫の世代が一緒に働き、理想とする暮らしを継承する大切な場所になりました。
あのボロボロだった家がこんな幸せを与えてくれるなんてと感謝々々の日々を送っています。
なんと春には、ユネスコの持続可能な開発のための教育がテーマのトップクラスの国際会議がこの家を舞台として開かれることになりました。あまりの出来事におばあさんは、まるでキツネにつままれたかのようです。
めでたしめでたし
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