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石見銀山暮らす宿

  • 他郷阿部家
  • 只今加藤家

ものがたり ものがたり

他郷阿部家とは他郷阿部家とは

日本の美しい生活文化を語り継ぐ
「復古創新」の願いを込めた宿。

不思議な縁に導かれるように、阿部家の屋敷に出会い始まった10年以上に渡る改修作業。
それは建物の再生にとどまらず、かつてここにあった暮らしの豊かさを再生する仕事となりました。
古きよきものを蘇らせ、その上で新しい時代のよきものを創るという「復古創新」。
私たちは日々その願いを掲げ、ここで次世代に語り継ぎたい理想の暮らしを探求し続けています。

その家の歴史と暮らしを受け継ぐ宿。 写真1
  • その家の歴史と暮らしを受け継ぐ宿。 写真2
  • その家の歴史と暮らしを受け継ぐ宿。 写真3
その家の歴史と暮らしを受け継ぐ宿。 写真4
その家の歴史と暮らしを受け継ぐ宿。 写真5

その家の歴史と
暮らしを受け継ぐ宿。

阿部家は、石見銀山が隆盛を極めた寛政元年(1789年)に建てられた武家屋敷。私たちは廃屋同然となっていたこの屋敷を1998年に譲り受け、時間をかけて改修を行いながら、かつての風格を取り戻すとともに新しい息吹を吹き込んできました。銀がもたらす豊かさや文化的成熟を、武家・町人問わず謳歌した江戸時代。その名残りともいうべき香りが屋敷のあちこちに宿って、訪れる人を迎え入れます。

時代が捨てたものを拾い、昔と今を繕うようにつなぐ。 写真1
  • 時代が捨てたものを拾い、昔と今を繕うようにつなぐ。 写真2
  • 時代が捨てたものを拾い、昔と今を繕うようにつなぐ。 写真3
時代が捨てたものを拾い、昔と今を繕うようにつなぐ。 写真4
時代が捨てたものを拾い、昔と今を繕うようにつなぐ。 写真5

時代が捨てたものを拾い、
昔と今を繕うようにつなぐ。

阿部家では、できるだけ屋敷で使われていたものを活かすことはもちろん、縁あって出会った拾いものや貰いものを、修理したり加工しなおしたりしながら使うことを楽しんでいます。古い廃材や時代を帯びた生活道具など、「世の中が捨てたもの」の中に、きらりと光る魅力を見出し、今の暮らしに活かすこと。その創意工夫は、お金で買えない深みや味わいをこの空間に与えてくれます。

家も人も自然の一部として在ることを思い出す。 写真1
  • 家も人も自然の一部として在ることを思い出す。 写真2
  • 家も人も自然の一部として在ることを思い出す。 写真3
家も人も自然の一部として在ることを思い出す。 写真4

家も人も自然の一部として
在ることを思い出す。

夏には戸を開け放ってすだれ越しの風を楽しんだり、冬には雪見障子から雪景色を眺めたり。かつて日本の暮らしには、季節の移ろいに合わせて家のしつらえも変えながら、折々の風情を楽しむ美意識がありました。便利さや効率を追求してきた現代社会が見失ってしまった「家も人も自然の一部として在る」感覚を、ここ阿部家で存分に感じてください。

この地に根を下ろした暮らしの喜びを分かち合う。 写真1
  • この地に根を下ろした暮らしの喜びを分かち合う。 写真2
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この地に根を下ろした暮らしの喜びを分かち合う。 写真4
この地に根を下ろした暮らしの喜びを分かち合う。 写真5

この地に根を下ろした
暮らしの喜びを分かち合う。

日々家を清め、四季折々のしつらえをととのえること。地元で採れた旬のものを使い、この地に伝わる家庭料理を作ること。阿部家のスタッフもそうやって、手や体を動かし、この地に根ざした暮らしを楽しみながら、お客様をお迎えしています。古い家で暮らす毎日には、新鮮な感動や気づきがたくさん。阿部家再生の物語は、人が癒され再生していく物語でもあるのかもしれません。

他郷阿部家の歴史 他郷阿部家の歴史

石見銀山を見つめてきた
阿部家230年の記憶とともに。

私たちにとって6軒目の古民家再生となる阿部家。島根県の文化財にも指定された建物ながら、
私たちが手に入れた当時は、屋根ははがれ、床や壁は崩れ落ち、まるで廃墟同然でした。
10年以上にわたって家と向き合い、知恵を絞り、こつこつ繕ってきた非効率きわまりない作業は、
まるで歴史を経糸に、今を生きる人の人生を緯糸に、一枚の布を織りなしていくかのよう。
これからも人が集い、語らい暮らす気配を呼吸しながら、阿部家は進化を続けていきます。

– 改修前 –

改修前 写真1
改修前 写真2
  • 改修前 写真3
  • 改修前 写真4
年表を(1526〜1960)
西暦
(年号)
阿部家の出来事 石見銀山の出来事
1526年(大永6年) 博多の商人・神屋寿禎、石見銀山を発見。
1600年(慶長5年) 石見銀山が幕府直轄領(天領)となる。
1602年(慶長7年) 年産4千貫=15トンの銀を産出する。
1609年(慶長14年) 初代阿部清兵衛が奉行大久保長安に召し抱えられ、 銀山付地役人となる。
1624年(寛永元年) 銀山全体の銀産出量が減少し始める。
1731年(享保16年)〜 享保の大飢饉。
1733年(享保18年) 代官・井戸平左衛門、さつまいも植え付け奨励。
1789年(寛政元年) 阿部家創建
1800年(寛政12年) 大森大火がおこるも、奇跡的に類焼を免れる。 大森大火により町の4分の3が焼失。
1832年(天保3年) 七代阿部光格が阿部家に茶室を設け、代官・ 根本善左衛門に「準鳴庵」と扁額へ文字を認めてもらう。
1869年(明治2年) 大森県が置かれる。
1872年(明治5年) 浜田沖地震により坑道崩落などの被害を受ける。
1895年(明治28年) 清水谷製錬所完成も、翌年操業休止。 以後、銅生産が主力となる。
1923年(大正12年) 第一次世界大戦後の銅相場低下により経営不振となり、 休山となる。
1942年(昭和17年) 藤田組により、銅採掘を試みるが大水害により設備流失、 坑道水没などの被害を受け、経営再開を断念。
1956年(昭和31年) 大森町が大田市に合併される。
1950年(昭和25年) 門長屋が老朽化のため解体される。
1960年代〜 阿部家、無住の状態へ。

– 改修中 –

改修中 写真1
改修中 写真2
  • 改修中 写真3
  • 改修中 写真4
年表を(1967〜2007)
西暦
(年号)
阿部家の出来事 石見銀山の出来事
1967年(昭和42年) 「石見銀山遺跡」県指定史跡となる。
1975年(昭和50年) 「石見銀山代官所地役人遺宅阿部家」として 島根県指定史跡となる。
1987年(昭和62年) 阿部家を含む大森の町並み約2.8kmが 国の重要伝統的建造物群保存地区になる。
1998年(平成10年) 松場大吉・登美、阿部家を譲り受ける。
2001年(平成13年) 阿部家第1期改修工事着工。 (母屋、台所周辺の保存修理) 世界遺産暫定リストに登載。
2002年(平成14年) 阿部家第1期改修工事終了、お披露目。 (鄙のひな祭りにて)
2003年(平成15年) 阿部家第2期改修工事着工〜終了。 (洗面所、渡り廊下の改修)
2004年(平成16年) 阿部家第3期改修工事。(浴室、便所、裏庭の改修) 大田市・温泉津町・仁摩町の景観保全条例が制定される。 温泉津の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
2005年(平成17年) 阿部家第3期改修工事終了。 飲食許可、簡易宿所営業許可取得。 大田市・温泉津町・仁摩町が合併し、新「大田市」となる。 関係省庁連絡会議で、政府が世界遺産登録に推薦決定。
2006年(平成18年) 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が 国の推薦書を正式受理。
2007年(平成19年) 阿部家第4期改修工事着工〜終了。(衣装蔵の改修) ICOMOSが「登録延期」と勧告されるも 一転、ニュージーランドでの世界遺産委員会で登録決定。 「大森町住民憲章」制定。

– 改修後 –

改修後 写真1
改修後 写真2
  • 改修後 写真3
  • 改修後 写真4
年表を(2008〜)
西暦
(年号)
阿部家の出来事 石見銀山の出来事
2008年(平成20年) 「暮らす宿 他郷阿部家」として営業開始。
現在も続くインターン受け入れを、はじめて行う。
2008年(平成20年) テレビ東京「ガイアの夜明け」で紹介される。
2011年(平成23年) NHK「猫のしっぽカエルの手」 vol.59「再生のよろこび」の回で紹介される。
2013年(平成25年) 書籍「他郷阿部家の暮らしとレシピ」を出版。
2014年(平成26年) 阿部家第5期改修工事着工〜終了。(米蔵の改修)
2014年(平成26年) NHKBS「Biz+サンデー特集 里山資本主義が 日本を変える!?」が他郷阿部家から生中継される。
2014年(平成26年) はじめて海外からインターンを受け入れる。
2016年(平成28年) テレビ東京「カンブリア宮殿」で紹介される。
2016年(平成28年) ユネスコで初のESD(持続可能な発展の為の教育)を 考える専門家会議が大森町で開催され、 他郷阿部家も会場のひとつとなる。 世界遺産登録10周年記念式典開催。
2016年(平成28年) 書籍「あるものを生かしきる 毎日を楽しむ捨てない暮らし」 を出版。
2017年(平成29年) NHK「サキどり」で紹介される。

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